建築学部開設記念レクチャーシリーズ

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建築学部開設記念 レクチャーシリーズ 5
No.16 石川 初(いしかわ はじめ)氏 講演会
「地図を描くーランドスケープ的に世界をみることー]」

工学院大学では、2011年4月の「建築学部」開設以来、一流のプロフェッショナルにお話しいただくレクチャーシリーズを開催しています。
第16回は石川初氏をお迎えします。
参加費無料でどなたでもご来場いただけます。奮ってご参加ください。

第16回建築学部開設記念レクチャーシリーズ 石川初
開催日時

2015年2月17日(火) 19:00~21:00(開場18:30)※終了しました

講演テーマ 「地図を描くーランドスケープ的に世界をみることー]」
会場 工学院大学新宿キャンパス 3階 アーバンテックホール(アクセスマップはこちら
定員 250名(事前申込による先着順)
入場料 無料
講演者
石川 初

Hajime Ishikawa (ランドスケープアーキテクト)

Hajime Ishikawa

- プロフィール -

京都府宇治市生まれ。東京農業大学農学部造園学科卒業。鹿島建設株式会社建築設計本部、米国HOKプランニンググループ、KAJIMA DESIGN ランドスケープデザ イン部を経て、現在株式会社ランドスケープデザイン設計部デザインリーダー。 登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。東京大学空間 情報科学研究センター協力研究員。日本生活学会理事。千葉大学特任准教授。早稲田大学創造理工学部建築学科、武蔵野美術大学建築学科にて非常勤講師。日本造園学会、日本地理学 会、東京スリバチ学会、東京ピクニッククラブなどでも活動中。

ナビゲーター
篠沢 健太

Kenta Shinozawa(工学院大学建築学部まちづくり学科准教授)

主催
工学院大学
お問合せ先
工学院大学 建築学部開設記念講演会事務局
電話番号:03-3340-0140
メール:infokenchiku●cc.kogakuin.ac.jp(●を@に直して送信してください)

summary

 私はランドスケープの設計事務所に設計者として勤めています。建築や土木など、ランドスケープと隣接する領域のプロと仕事をしていたので、「ランドスケープとは何か」ということを言語化し、確認する必要にせまられる機会が多くありました。今回は、そのような経験を通じて、ランドスケープ的な世界とはどういうことかを考え続けてきた経過報告をしたいと思います。

ランドスケープ的思考

 ランドスケープの対象は、まず外部であるという特徴があります。それに伴い、植物を対象として扱う機会が非常に多くなります。そのため、対象よりもさらにそれを取り囲む、より広域な事情を視野に入れるという習慣があります。例えば、木を1本植えるといっても、木は単体で生育しているわけではないので、木を支える周囲の環境が前提になっています。
 一方で、植物が最も端的に具現しているのは時間です。大きい木が植わっているということは、少なくともその場所で、その時間をかけて成長するだけの良好な環境がそこに持続的にあったということを示しています。
 対象の時間スケールから逸脱するものを視野に入れること。ランドスケープ的であるとは、そういうものなのではないか。目に見えるものは常に異なるスケールの事情の徴候であるとみなすこと。今回は、それがランドスケープ的思考であるという仮説を立てて、話してみたいと思います。

不可視の領域

 このようなランドスケープ的思考が必要な事象のひとつに地形があります。ある大学の設計の演習で出題した課題をきっかけに、考えたことを話したいと思います。その課題は、地形が顕在化している場面を見つけ出してきて、それを成立させているより広域な事情とともに絵に描いて報告するというものでした。より広域な事情というのは、斜面があったときに、これは谷の一部だというような文脈を示すということです。
 地形を記述しようとすると、自分の目の前に現れるシーンと、それが一体何の文脈で現れているのかという、より広域な事情を考えなければなりません。地形図によってしか状況は分かり得ないけれども、地形図をいくらみてもシーンは出てこない。また、実空間の風景は個別の写真によって示せるけれども、写真からは周囲の地形は推察できない。全域的な視点と実際の空間体験の間に、ある不可視の領域みたいなものがあるということに気付きました。

地図を描く私

 課題の提出作品の中で、戸山公園の階段を地形図の中に等高線の一部として位置付けている作品があったのですが、それを見て私自身も大きな発見がありました。今まで、階段は身体スケールよりも大きな段差があるときに、体のスケールに合わせて刻むことによってできていると考えていたのですが、よく考えてみると地形図では階段は等高線なんです。つまり、階段というものは、地形図とシーンを結んでいる。
 先ほど、不可視の領域があると言いましたが、あるとき、自分が地図をつくることを頭に入れて地図を眺めると、実空間と地形図はひと続きの経験として記述し得るのだということに気付きました。実は、不可視の領域は「地図を描く私」にほかならなかった。自分が地図を描くことによって接続されているんだということを、このとき思ったわけです。

デジタル標高モデルがもたらす視点

 等高線で描く地形図に対して、ここ10年くらいで発達してきた技術として、デジタル標高モデルがあります。国土地理院が地上をスキャンしたデジタルデータを地形データとして公開しています。今まではコンタ模型などをつくるしか方法がなかったのですが、レリーフのような地形図を表現できるようになりました。 デジタル標高モデルを見ていくと、たくさんのことを発見することができます。例えば、河川の付け替えの跡などが地形に残されていることが分かります。また、東京に限りませんが、港湾部というのは、地形としか言いようがない規模で埋め立てが進んでいます。最近の埋め立て地ほど高くなる傾向があって、東京の場合は、内陸から海岸に向かうと、海岸の方が高いという逆転現象が起きています。
 詳細な地形図は遺跡みたいなものです。現存する都市の遺跡を眺めているともいえます。埋め立て地も古墳も彫刻家がデザインしたランドスケープもフラットに地形視することができる。それがデジタル標高モデルというツールが私たちにもたらす視点です。

15年分のGPSログ

 私はGPS受信機を2001年からずっと持ち歩いています。ログを集積していくと、ここ15年の自分の移動の記録が線の束となって地図上に浮かび上がります。私は典型的なサラリーマンなので、自宅と職場を毎日往復しています。そういう単調な都市の中での移動でも、移動していること自体がある種のフィールドワークになっていくんです。自分の行動の特徴みたいなものが、集積したログが描くマップから明らかになってきます。
 このGPSログは、カシミール3Dというソフトを使うと、いろんな表現の仕方ができます。速度で色分けすることもできます。色分けすると、街の移動のモードの分布みたいなものが明らかになったり、もう少しスケールを局所的にすると、駅が浮かび上がってきたりします。また、新しいものを明るく、ゆっくりなものを太く描くという設定をすることで、最近ゆっくり移動したところほど目立つようになります。ゆっくりしている時の方がその場所と深く関わっているのではないかと考えたのですが、地図に描いてみると、単純に線で描くよりも、鮮やかに自分の記憶している場所と結びついていることが分かります。

GPSを使って地上に絵を描く

 GPSロガーを持って歩いていると地上に絵を描きたくなります。イギリスのアーティストであるジェレミー・ウッドさんは早い時期からGPSロガーを持って、地面を歩き回って、絵を描いていました。これは私もやらなければならないと思ったのですが、東京の道路はグリッドではなく、ごちゃごちゃしているし、オープンスペースも少ないので、自由に描くことが非常に困難だということが分かりました。そこで、あらかじめ地図に意味のあるかたちを発見しておいて、そのコースを通ることによって、絵を描くということを始めました。最初に描いたのがアヒルです。45kmくらいの距離を自転車で走りました。次に、象やペンギン、豚、馬、パンダなどを描きました。また、テレビ番組「タモリ倶楽部」の企画で、目黒区にタモリさんの似顔絵を描いたこともあります。タモリさんの似顔絵としては世界最大です(笑)。

ツールが地図とシーンを結びつける

 私はGPSロガーの地図の表示をいつもオフにしています。そうすると、空白の画面に線が描かれていきます。そうすることで、自分が地図を描いているという感覚が得られ、広域的な視点と局所的な視点を結びつけているという手応えが感じられます。
 グーグルマップなどのデジタル地図を見ながら歩くこともあるのですが、そうしてしまうと地面と自分の間に地図が介入してきてしまうんです。いつのまにか、地図の上を歩いているような錯覚にとらわれてしまう。私がこうした行動を続けているのは、自分が歩くことで地図を描き、それがデータとなって、振り返ると自分が通ってきた道が見える、というようなところに惹かれているような気がします。
 GPSは、地上2万kmの軍事衛星を使って、自分の位置を瞬時に測る最先端のテクノロジーですが、意味のあるデータを入出力しようとすると、それを持って汗をかいて動き回らなければならないという、とてもアナログ的な部分が面白いと思っています。鳥瞰的な地図と局所的なシーンとを結びつけてくれるひとつのツールなのではないかと考えています。