建築学部開設記念 レクチャーシリーズ 4
No.12 山本 理顕(やまもと りけん)氏 講演会
「地域社会圏主義」
工学院大学では、2011年4月の「建築学部」開設以来、一流のプロフェッショナルにお話しいただくレクチャーシリーズを開催しています。
第11回は乾久美子氏、第12回は山本理顕氏をお迎えします。
参加費無料でどなたでもご来場いただけます。奮ってご参加ください。
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開催日時 | 2013年12月7日(土) 19:00~21:00(開場18:30)※終了しました |
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講演テーマ | 「地域社会圏主義」 | |||
会場 | 工学院大学新宿キャンパス 3階 アーバンテックホール(アクセスマップはこちら) | |||
定員 | 250名(事前申込による先着順) | |||
入場料 | 無料 | |||
講演者 | 山本 理顕
Riken Yamamoto (建築家) ![]() -プロフィール -
○代表作に「埼玉県立大学」「横須賀美術館」など。チューリッヒ、天津、北京、ソウル、アムステルダムなどでも複合施設、公共建築、集合住宅を手掛ける。 |
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ナビゲーター | 木下 庸子 Yoko Kinoshita(工学院大学建築学部建築デザイン学科教授) |
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主催 |
工学院大学 | |||
お問合せ先 |
工学院大学 建築学部開設記念講演会事務局 電話番号:03-3340-0140 メール:infokenchiku●cc.kogakuin.ac.jp(●を@に直して送信してください) |
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その他 |
ポスター(PDFファイル682KB) |

家族に替わる新しい中間集団
2002年から2007年までの5年間、工学院大学で教えていました。そのとき、大学院生たちと一緒に考えたことが、本日お話しする「地域社会圏」という考え方につながっています。2004年に開催した「私たちが住みたい都市」という連続シンポジウムと、その内容をまとめて2006年に出版した本が、地域社会圏について考えるようになった最初のきっかけです。そのころはまだ地域社会圏という言葉はありませんでしたが、その後、横浜国立大学に移って、学生たちと一緒に考えたのが、地域社会圏のプロジェクトです。
地域社会圏を考えるうえで重要となってくるのは、個人と国家の関係です。現在、個人と国家がダイレクトにつながっていて、中間集団というものがほとんどありません。家族という中間集団はありますが、それは、外に対して非常に閉鎖的な集団です。その家族を超えるような中間集団のようなものを設計できるというのが、私の意見です。建築家は、家族のための住宅をたくさんつくってきましたが、今までこういう中間集団をつくる役割はほとんど果たしてきていません。家族のための住宅というのは、誰かが考えて設計したものだということを、みんな忘れているんです。でも、それは誰かがつくったものなので、家族に替わる新しい中間集団も必ず設計できるはずなんです。
ヨーロッパでつくられた住宅のモデル
そもそも現在のような住宅がつくられるようになったのはいつからでしょうか?
おそらく世界初の住宅展示場は、1851年に開催されたロンドン万国博覧会のアルバート館だと思います。これは、ヘンリー・ロバーツが労働者階級のために設計した住宅のモデルです。彼は、動線計画や平面計画を工夫することによって、快適な住宅をつくることができると考えました。また、男女の部屋を分けるなど、生活の倫理観にもとづいて住宅をつくることを主張しました。これは当時、非常に新しい提案でした。ロンドンやパリの労働者の生活環境はひどい状況だったので、労働者の家族はこういうパッケージの中に住んだ方がいいと考えたわけです。この提案をきっかけに、現在の住宅がつくられていきました。
ヘンリー・ロバーツの影響を受けて、最初に大量供給された労働者住宅が、1855年にフランスでつくられたミュルーズの労働者都市です。労働者を管理するために、人と人とができるだけ出会わないような計画が試みられました。それは労働者たちを孤立させる仕組みでもありました。第一次世界大戦後、こうした住宅はヨーロッパで大量供給されていくことになります。住宅というのは、もともと労働者階級のための住宅で、労働者を教育するための装置でした。それが住宅の始まりです。今の住宅のシステムは昔からあると思っているかもしれませんが、1850年代にモデルがつくられたわけです。
日本の住宅政策の流れ
1945年以降、この住宅のモデルが日本に輸入されます。51C型は吉武泰水さんや鈴木成文さんたちが考えたモデルですが、プライバシーを大切にする住宅にしたのは、明らかにヨーロッパでつくられた住宅の影響があると思います。
次に、日本の住宅政策の大まかな流れを見ていきたいと思います。まず、1950年の住宅金融国庫法によって、戸建て住宅や持ち家をつくる人にお金を貸す仕組みができました。また、1955年の日本住宅公団法によって、51Cのような、2DKの密室的な住宅が大量供給されるようになりました。1966年の第一期住宅建設5カ年計画は、持ち家制度にシフトしていくきっかけになった計画です。1995年の住宅宅地審議会答申では「住宅サービスは私的に消費されるものである。…住宅政策の役割はその市場機能が十分に発揮されるものである」とあり、住宅は市場を活性化するためにつくられていることがわかります。2007年には住宅金融公庫が廃止されて、住宅金融支援機構になったことで、銀行が民間の住宅を建てたい人にお金を貸しやすくなりました。35年の長期固定金利住宅ローンをつくり、民間の賃貸住宅よりも住宅を安く買えるようにしました。こういうふうに、住宅は市場活性化のための道具になっていったわけです。こうして、住民たちの地域社会ができるとは到底思えないようなマンション開発を繰り返しています。我々建築家は、こういうものとは違う住宅を提案できるはずです。
「地域社会圏」という新しいモデル
そこで考えたのが、従来の「1住宅=1家族」に替わる、「地域社会圏」という新しいモデルです。1960年代は東京都1世帯あたり平均4人が住んでいました。65歳以上の高齢者は10%しかいませんでした。こうした高度成長期には、「1住宅=1家族」は有効だったと思います。それが2013年には、東京都1世帯あたり平均1.98人になりました。1世帯に2人未満です。4分の1が高齢者となり、1人住まいの高齢者が増えて、孤独死の増加が問題になっている現状で、密室化していく今の住宅の供給の仕方は本当にいいのでしょうか?
そこで、500人が一緒に住んだらどうなるのかという地域社会圏のシステムを提案しました。地域社会圏で提案する住宅は「イエ」と呼びます。「イエ」が集まって、ベーシックグループをつくります。そこには共有のミニキッチンやトイレ、シャワーなどがあります。7つくらい集まったグループが、さらに集まって、全体がつながっていくわけです。
また、「イエ」は「見世」と「寝間」によって構成されています。「見世」は外に開いていて、「寝間」はプライバシーが守られている寝室です。「見世」は、お店だけでなく、アトリエや勉強部屋など、外に開いても差し支えのないアクティビティがある場所です。これを外に開くことで、それまでのプライバシーやコミュニティーという概念が一気に変わります。さらに、商売ができるので、地域社会圏という小さい経済圏が生まれ、従来のマンションとは全く違う住宅ができます。
近作について
地域社会圏的な考えを用いて実際につくった近作を紹介したいと思います。最初は、韓国の「パンギョ・ハウジング」です。これは建築をクラスター状に配置した、低層集合住宅の提案です。3階建ての建物の2階レベルにコモンデッキをつくり、10世帯が共有しています。玄関には「しきい」と呼ばれるガラス張りの空間をつくりました。住み始めて1年以上たちますが、皆カスタマイズして住んでいます。テーブルを家の前に置いていたり、ギャラリーにしている人もいます。玄関を透明にするだけで、いろいろな使い方が刺激されます。
次は、熊本で計画中の「天草市本庁舎」を紹介します。
3棟に分棟して、スロープで全体をつないだ市庁舎です。スロープに面して、奥行き3.8mのお店が並んでいます。天草にはいろいろな農産物や海産物があるので、アンテナショップをつくって、観光地化して、ここに来てくれるようなお店にしたらどうかと提案しています。
最後は、スイスで計画中の「ザ・サークル—チューリッヒ国際空港」です。外側と内側を全然違う表情にして、内部に街のような空間をもつ空港を提案しました。また、スイスの緻密さを表現するために、極めて細い柱で全体を構成しています。街の中にあるようなテナントの貸し方をすることで、今までのブランドショップや飛行場の施設とは全然違う、街をつくっているようなかたちにしていきたいと考えています。
我々は建築家としてこれから様々なかたちで社会と関わっていくと思います。その社会との関わり方を一緒に考えてもらえたらと思っています。