建築学部開設記念 レクチャーシリーズ 1
No.1 槇 文彦(まき ふみひこ)氏 講演会
「建築設計のなかで人間とは何かを考える」
工学院大学では、4月27日(水)18時から、新宿キャンパス・アーバンテックホールにて、我が国を代表する建築家・槇文彦氏をお招きして、建築学部開設記念『建築設計のなかで人間とは何かを考える』と題した講演会を開催しました。
工学院大学は、今年2011年4月に日本初となる「建築学部」を開設しました。この開設記念講演会では、建築から都市デザインまで幅広い領域で国際的に活躍を続ける槇文彦氏が、自身の作品を通して、今あらためて「人間とは何か」を問いかけました。
今回、日本を代表する著名な建築家として国際的に幅広く活躍する槇文彦氏による講演会の開催のため、本学の学生・学園関係者だけではなく、他大学や建築業界をはじめ、多数の方々からの注目が集まりました。事前参加の申し込みでは、開催案内発表の翌日には、応募多数で満員御礼となるほどの高い注目でした。
当日は受付開場と共に多数の参加者が続々と訪れて、約300名の参加者によりアーバンテックホールが満員となる盛況ぶりでした。
槇文彦氏の1時間半に渡る講演会では、ご自身の長年の建築活動の関わるご経験談や、実際にご自身が設計を手掛けた建築物や作品の写真や図面を用いて語られ、槇氏の建築思想と哲学に直接触れることができる貴重な講演となりました。講演の最後には、時と建築、空間と建築というテーマで、まとめのコメントで締括りました。
講演後の参加者からの質問では、”建築は、陸上競技にたとえると、短距離走ではなく、マラソンのようなものである”また、”日本人は、感性と理性をうまく配合できるので、建築には向いている”と答えられていました。
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開催日時 | 2011年4月27日(水) 18:00~20:00※終了しました |
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会場 | 工学院大学新宿キャンパス 3階 アーバンテックホール(アクセスマップはこちら) | ||||||||||||||||||||
講演テーマ | 「建築設計のなかで人間とは何かを考える」 | ||||||||||||||||||||
プログラム |
17:30 開場 18:00 開会ご挨拶 工学院大学学長 水野明哲 18:10 槇文彦氏講演会 20:00 閉会ご挨拶 工学院大学建築学部長 長澤泰 |
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講演者 | 槇 文彦
Fumihiko Maki (槇総合計画事務所代表) ![]() -プロフィール -
アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員 |
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お問合せ先 |
工学院大学 建築学部開設記念講演会事務局 電話番号:03-3340-0140 メール:infokenchiku●cc.kogakuin.ac.jp(●を@に直して送信してください) |

文化人類学から考える空間
文化人類学に昔から関心をもっていた。建築や都市を考えるときには、文化人類学な視点も大事である。後年いろいろな国や地域で仕事をするようになった。それぞれの地域にそれぞれのカルチャーが存在する。しかし同時に、どこかで人間の振るまいや好みには共通したものがある。人間が動物から進化したものである以上、そういう面は確かにあるだろう。
子供だったころ、親類の家や友達の家に行くと、自分の家と敷地も間取りもぜんぜん違う。それが面白かった。自分の建築に対する興味の原点にそれがある。今の日本の大都市の子供たちは、みな似たようなマンションに住んでいるのでそういう経験ができなくなりつつある。不幸である。
ローマ時代の建築家ヴィトルヴィウスは「建築に大事なのは用強美だ」と言ったとされる。美とはラテン語で「venustas」だが、近年の学説ではヴィトルヴィウスが「venustas」といっていたのは「喜び」のことであるという。 「喜び」というのは建築のどこから来るのか。それは空間から来る。ならばどういう空間から、人間は「喜び」を得られるのか。
家を感じられる大きな施設
住宅の話をしたが、日本でも海外でも住宅から建築の設計に入った人は多い。住宅の設計に関して、建築家は2つのタイプに分かれる。住宅の設計をやりながら、大きな建物もできる人。もう一方は大きい建物をやってもうまくいかない人。前者がル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエであり、後者が例えばマルセル・ブロイヤーである。僕自身は施設の設計から入って、たまに住宅の設計もやる。
最初に見せるのは自宅と山荘。これは公表していない。知らない人が見に来るのが嫌なので(笑)。山荘をやって面白かったのは、木造なので簡単に手を入れられること。RC 造ではなかなかそうはいかない。
イタリア、ルネサンス期の建築家、アルベルティが「都市は大きな家。家は小さな都市である」と言っている。ここでも空間というものが介在している。外観からは家が都市とは思わない。しかし空間に入っているとき、それは小さな家であっても、都市的に感じられることがある。一方都市でも、家的な雰囲気をもったものがある。
今日は、大きな建物でどうしたら家的なものを感じてもらえるか、という観点から自分の作品を採り上げていきたい。
空間のつくり方によって人が集まる
一昨年に完成した、バーゼルのノバルティスキャンパス新社屋。マスタープランから、建物は矩形にするという制約があった。6層の断面の中で吹き抜けを互い違いに入れて、空間を連続させていった。もうひとつのコンセプトは、直方体の建物に斜めの方向性を入れることで、点対称のプランでコアを配置した。ヨーロッパでは個室式のオフィスが主流だが、ここではでオープンなワークスペースにしている。少人数で話す場所としては「バブル」と呼ばれる場所を用意した。天気の良い日はバルコニーも使える。バルコニーも大きすぎると、人間は行きたがらない。ヒューマンスケールの場所が普遍的に好まれる。
シンガポールのリパブリック・ポリテクニック(2007年)では、楕円形のアゴラというスペースを入れた。クラスルームはなく、ここで学生は一日を過ごす。自然光が間接的に入ってくる。非常に大きいが、ヒューマンスケールを保った空間。場所によって、学生たちが学問的なディスカッションをしていたり、座って休んだりしている。つくり方によって、空間に人が集まる。アゴラの中心にはビリヤード・テーブルが置かれて使われている。これは思いもよらなかったこと。建築家は使い方を想定して設計するが、想定外のことも起こる。これは楽しい想定外だった。
MITメディアラボ(2010年)。「大きな家」をつくってくれとの依頼だった。入れ子構造で7つのラボが入る。水平、垂直、斜めに視線が通っていく。どんな研究が行われているか、互いに感じ取れる。メディアラボの若い研究者に、僕が設計した加藤学園(1972年)の卒業生がいて、声をかけてくれたのはうれしかった。
ひとりのためのパブリックスペース
大分県の中津で設計した風の丘葬祭場(1997年)。大都市では、効率を高めるために巨大なエアターミナルみたいな葬祭場もある。ここは小さな街なので、最後の別れを静かに味わえる雰囲気にしたい。すぐに目的の場所へ着くのではなくて、時間的な経過を大切にした。アプローチ、玄関、そして次の間へ、たえず別の空間が見えている。中津の人はこれで安心して死ねる、と言ってくれた(笑)。
ペンシルバニア大学アネンバーグパブリックポリシーセンター(2008年)も、ガラスカーテンウォールと木製パネルによるウォール・トランスペアレンシーのコンセプト。
パブリックスペースというと、大勢の人が集まる場所を想定しがちだが、ひとりのためのパブリックスペースというのもある。スーラが描いたパリの郊外の絵がある。画面にはたくさんに人がいるが、ひとりひとり違うものを見ている。この絵では、人は常にどこか孤独であるということが示されている。僕はスパイラル(1985 年)のエスプラナードに都市をひとりで眺める椅子を置いた。いつも誰かが座っている。
三原市芸術センター(2007年)。こうしたオーディトリアムのホワイエは通常、大きな空間でつくる。ここは小さな都市でもあるので、ホワイエを小さくつくって、天井高さも抑えた。オープニングのセレモニーで出かけたら、子供を連れたお母さんがこの建物を見ていない。そのことがうれしかった(笑)。自然なスケールをもっている証だろう。ここでは結婚式の披露宴も行われた。
時を経て再生される建築
建築はフォームをもたざるを得ない。端的に現れるのは、高い建物である。シンガポール、台北、ベイルートなどで高層の建築を設計している。ニューヨークでは国連ビルを設計したが、これは政治的な理由でペンディングになっている。ワールドトレードセンターは、経済情勢の変化で難航しているが、我々の設計したタワー4は順調に進んでいる。
オランダのフローニンゲンにつくったフローティングパビリオン(1996年)は、ひっぱられて移動する水上の劇場。地元の人から手紙が来た。「10年がたって市は廃船にしようとしている。自分たちは再生したい。オランダの制度では建築家がノーといえば壊せない。だからノーと言え」と。その後、しばらく連絡がなかったが、去年また手紙が来た。市議会でお金を出して、再生することになったとのこと。今、東京では巨大なホテルも解体されようとしているが、オランダでは公共のものはなかなか壊せないことになっている。
再生的な建築の事例。名古屋大学豊田講堂(1960 年/2007年)は、打ちはなしを3㎝削って、その上に新しいコンクリートを打ち直した。再生と言うよりは新生に近い。後ろにあった別の建物との間に屋根を架けて、内部化した。
ヒルサイドテラス(1969年~)では、1期はここ、2期はここ、というように少しずつ建て増した。店舗やレストランだけでなく、いろいろなパブリックスペースや文化施設も入れ込んでいった。裏手にある大正時代に建てられた重要文化財の旧朝倉家住宅も公開されている。様々な時代が積み重なってできているプロジェクトだ。
まとめ
〈時と建築〉
時とは記憶と経験の宝庫である。
時は都市と建築の調停者である。
時が建築の最終審判者である。
〈空間と建築〉
空間には外部と内部の差は存在しない。
空間は機能を包容し、且つ刺激する。
空間が人間に喜びを与える。